2016年御翼3月号その3

「良心」は「感情」に 置き換えられてしまった

 「飼い犬と、見知らぬ人が同時に溺れていたら、最初にどちらを救助しますか」とデニス・プレーガーさんは25年間、米国の高校を回って、生徒たちに尋ねた。すると、ミッション系の高校を除いて、必ず三分の一が「犬」と答え、三分の一が「見知らぬ人」、そして残りが「よく分からない」であった。三分の二の生徒が、「犬を助ける前に、見知らぬ人を助ける」と答えなかったのだ。なぜであろうか。その理由は、「わたしは自分の犬を愛しているが、見知らぬ人は愛していない」であった。もはや、「良心」は、「感情(フィーリング)に置き換えられてしまったのだ。
 大切な事実として、自分だって、見知らぬ人よりも自分の犬の方をより愛しているが、見知らぬ人を先に助ける、とプレーガーさんは言う。それは、誰を助けるかを決めるのはフィーリング(感情)ではなく、「人は神に似せて創られた」という聖書の教えがあるからなのだ。良心は、聖書の基準によって形作られるべきであるが、今日、良心は感情によって形作られてしまっている。

 神がいなければ、すべてが許可されてしまう。ドストエフスキーの言葉を引用するならば、わたしたちは今日、善悪の基準としての神が死につつある時代に生きている。そして、その基準はフィーリングというものに置き換えられた。「わたしが正しいと感じるだろうか?間違っていると感じているだろうか?」と。これが、米国でみられる、道徳的なカオス(大混乱、無秩序)を引き起こしている。
 悪の要因は貧困だと言われるが、実は、道徳的貧困がその原因である。大恐慌時代、絶望すると人はビルから飛び降りたりしたが、今日、人は絶望すると、他人に手を掛けたりする。悪の要因は、基準の欠如なのだ。「殺してはならない」(出エジプト記20章13節)と言われた神を知ることだけが、この世から殺人を消し去る。この考え方をエリート層は笑うかもしれない。しかし、神が「殺してはならない」と言われなかったとしたら、どうして殺人がいけないと言えようか。
 わたしたちはその後遺症を見てきた。二十世紀は、人類史上、どの時代よりも流血、奴隷制、拷問、邪悪が行われた。それは、神を否定した最初の世紀であった。
 もし、キリスト教がなくなれば、善いボーイスカウトはいなくなる。ナチズムや共産主義が台頭する。米国でキリスト教が衰退するならば、何によってその空白が埋められるだろうか。                              
デニス・プレーガー

牛込教会の特徴としての「魂の神学」
1.教会は魂のことをするところ
2.魂とは、神とつながることができる、人の本質的な存在である。
3.魂の働きは、@愛すること、A思いつくこと、Bひらめくこと、C夢を見ること、D良心の働きをすること、である。
4.魂が神の聖霊を受けた時に、人の思いを越えた出来事(祝福)が展開する。
5.魂が聖霊を受けるのは、主イエスの十字架により、自分の魂の罪が贖(あがな)われると信じた時である。

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